大鳥大社の社殿などが堺市の文化財に指定

和泉国一の宮として続く、歴史ある神社やねん

文化・歴史政治・行政

4/18/2025

市が文化財に指定したんやで
堺市は令和7年4月18日、大鳥大社の本殿、神門および瑞垣、拝殿、神饌所および玉垣を堺市指定有形文化財に指定したんや。今回の指定は、堺市文化財保護審議会の答申にもとづいて行われたもんで、これで堺市内の指定文化財は全部で57件になったんよ。

古くからの一の宮やねん
大鳥大社は延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳にものってる神社で、霊験あらたか(ご利益があることでよう知られてる)な名神大社として、ずっと大事にされてきたんよ。和泉国の一の宮(昔の大阪南部でいちばん格式が高い神社)としても有名で、地元では鳳の名の由来になったとも言われてる神社やねん。

特徴的な「大鳥造」の社殿
本殿は「大鳥造」と呼ばれてて、屋根のかたちは切妻造で、入口は妻側についてるんよ。建物の中は前と後ろで二つの部屋に分かれてて、ほかの神社建築ではあんまり見かけへん、独特なつくりになってるんよ。出雲の大社造とよう似てるけど、心御柱がなかったり、高床が低かったり、裏や側面に縁がなかったりと、よう見ると違うところも多いねん。

なんども再建されてきた歴史があるんよ
社殿は天正年間(1573年~1592年)の戦で焼けてしもたんやけど、慶長七年(1602年)に豊臣秀頼が再建してくれて、さらに寛文二年(1662年)には徳川家綱の命を受けて、堺町奉行やった石河土佐守がまた建て直したんや。そのあと明治三十五年(1902年)には特別保護建造物に指定されたんやけど、明治三十八年(1905年)に落雷でまた焼けてしもて、今の社殿は明治四十二年(1909年)に元のかたちを大事にしながら建て直されたもんやねん。

今も大事に守られてるんよ
昭和九年(1934年)には国のお金で屋根のふき替えがされて、昭和三十六年(1961年)にはご祭神である日本武尊が増祀されたのにあわせて、内部の模様替えと大きな修理もされてるんよ。今回の文化財指定は、そういった長い年月をかけて守られてきた建物の歴史や、建築の特徴が評価されたかたちやね。

ご祭神は日本武尊やねん
大鳥大社に祀られてるのは、日本武尊(やまとたけるのみこと)やねん。日本書紀や古事記にも登場する伝説の人物で、第十二代・景行天皇の皇子とされてるんよ。各地の反乱をおさめたあと、伊吹山で病にかかってしもて、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなったと伝えられてるんや。その魂は白鳥になって飛び立ち、最後に舞い降りた地がこの大鳥の地やとされてるんよ。

もう一柱、大鳥連祖神も祀られてるんよ
もうひと柱のご祭神は、大鳥連祖神(おおとりのむらじおやがみ)で、この地に栄えた大鳥氏という古代の一族の祖先の神さまとされてるんや。この神社は昔から武家の信仰もあつくて、豊臣や徳川をはじめ、いろんな武将が社殿の造営や寄進をしてきたことでも知られてるねん。

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※この記事の一部は、大鳥大社の公式由緒案内に基づいて作成しています(出典:大鳥大社)