堺市O157集団食中毒事件から29年 最大級の被害と教訓
知らん人もおるやろうからサカイタイムズがまとめたで 7月12日に追悼式もあるよ
インタビュー・特集政治・行政


堺市のO157事件
1996年の夏、堺市で起きたO157集団食中毒は、世界保健機関(WHO)も「けた違いの記録的な規模」と表現した、日本で最大級の事件やったんよ。患者は市内外あわせて9,523人、病院にかかった人は1万2,680人、有症状者1万4,153人、検便で陽性やった人は2,764人にのぼってる。そして、この事件で3人の児童と、後遺症で亡くなった方もおったんよ。
サカイタイムズでは、内閣府食品安全委員会調査書や最高裁判所判決、厚生労働省の公式な見解から、できるだけ事実だけをまとめて伝えていくで。
事件発生と調査の流れ
1996年7月13日朝に、市立堺病院から「小学生10人が下痢や血便で受診してる」と保健所に連絡が入って、その後も同じような症状の子がどんどん増えていったんよ。翌日の14日には患者さん26人の便からO157が見つかって、すぐに学校給食を中心とした調査が始まったんや。
給食の献立を調べる中で、「冷やしうどん」と「とり肉とレタスの甘酢和え」、特に両方に共通してた非加熱の「かいわれ大根」に注目が集まったんよ。ただ、かいわれ大根の生産施設や種子、水からはO157は見つからず、はっきりとした感染経路や汚染源は最後まで特定できへんかった。
厚生省(いまの厚生労働省)は最終的に「特定の生産施設から出荷されたかいわれ大根が最も可能性が高い」と発表したけど、「断定」とはせんと、いろんな状況証拠を積み重ねたうえでの総合判断やったんよ。
“95%発言”と社会的な誤解
この事件では、記者会見の席で一緒におった疫学の専門家が「かいわれ大根が原因食材である可能性が95パーセント」って発言したことが広まって、ニュースで「かいわれ大根が原因」と断定されたような印象が一気に広がったんよ。ほんまは直接O157が検出されたわけやなかったし、厚生省も裁判所も“断定”まではしてへんかったんやけどね。
社会への影響と混乱
厚生省の発表や「95%発言」のあと、大きなスーパーや百貨店の売り場からかいわれ大根がなくなって、生産や流通の業者さんは大きな痛手を受けたんよ。全国各地でO157感染者や堺市の子どもがキャンプや旅行の宿泊を断られたり、差別も起きてしまった。
そのほか、「O157を入れたパンを店に置く」とセブン‐イレブン・ジャパンを脅迫する事件、堺市役所の市長公室長室に男が押し入り「O157はおまえのせいや」などと言って、公室長を殴る、蹴るなどの暴行事件、そして給食協会の幹部が自殺するなど、悲しい出来事も相次いだんや。
堺市行政の問題点
・配送車に冷蔵設備がなく、食材が朝から常温で放置されていた
・納入食材の検収体制がなく、業者さんへの自主検査の義務づけも徹底されてなかった
・調理マニュアルに、調理者の衛生管理(手洗いや消毒など)について詳しく書かれてなかった
・初動の対応が遅れて、患者さんの情報や市民・関係者への連絡も混乱
・休日や夜間の緊急医療体制が不十分で、病院の受け入れもパンク状態やった
・患者数や情報の集計も手作業が中心で、時間がかかった
・他の自治体や医療機関への支援のお願いも遅れてしまった
・広報の混乱で、市民への不安や誤解が広がってしまった
・感染した子どもや堺市民への差別、人権配慮も十分やなかった
かいわれ大根“断定”をめぐる裁判と国の責任
かいわれ大根の生産者や団体は「根拠がはっきりせえへんまま公表されて、売上が激減した」として国を訴えたんよ。最高裁判決では、
・「会見で専門家が『95%以上』と発言したことで、かいわれ大根が原因やと強く印象づけた」
・「はっきり決まってない情報を記者会見で発表して、国民に誤解を与えた」
・「緊急性が高くないのに記者会見をした」
などを理由に、「国の情報発信の仕方に一定の過失があった」と認定されたんや。
ほんで原因は結局なんなん?
いちばんのポイントは、給食で共通して使われとった非加熱食材が「かいわれ大根」だけやったこと。ただ、O157が直接見つかったわけやない。
厚生省も裁判所も「特定の生産施設から出荷されたかいわれ大根が最も可能性が高い」とはしたけど、“断定”はしてへん。「唯一共通してた食材」「衛生管理や温度管理の不備があった可能性」「感染者のほとんどが給食を食べてた」など複数の状況証拠をもとに総合判断したんよ。
それに、「給食以外で同じかいわれ大根を食べた人には食中毒が出てへんかった」ことや、直接菌が見つかっていないことも、断定に至らなかった理由やった。感染者の約95%が給食を食べてて、約4%が給食以外やった、という事実も確認されてるで。
事件が残した教訓
このO157事件をきっかけに、給食や食品業界の衛生管理や冷蔵体制がぐっと見直されて、手洗いや消毒、調理の管理もより厳しくなったんよ。社会全体でも「根拠のある情報発信」や「行政の危機管理」の大切さが、あらためて認識されることになったわ。
O157堺市学童集団下痢症 追悼と誓いのつどい
堺市教育委員会では、1996年7月12日にたくさんの学童が食中毒症状を発症したことを受けて、毎年7月12日を「O157堺市学童集団下痢症を忘れない日」としてるんよ。
「O157堺市学童集団下痢症で亡くなられた3人の児童と後遺症で亡くなられた方を悼み、市民や学校関係者、行政職員、その他関係者が集まり、『二度とあのような悲惨な出来事を繰り返さない』『決して風化させない』と誓うために、毎年追悼と誓いのつどいを開いているわ。
【開催日】令和7年7月12日(土曜)
・式典:午後2時30分から午後3時30分
・一般献花:午後3時30分から午後4時30分
【場所】堺市役所 本館正面玄関 O157堺市学童集団下痢症の碑「永遠に」前
(堺市堺区南瓦町3番1号)
【主催】堺市・堺市教育委員会
【共催】堺市健康づくり推進市民会議
【式典内容】
・開式のことば
・黙とう
・追悼と誓いのことば
・追悼のことば
・献花
・黙礼
一般献花はどなたでも参加できるで。
※サカイタイムズでは堺市民にわかりやすいよう堺弁で書いています。 堺弁β版について