石垣島から堺へ、11年の歩み
堺東で「島唄ライブ みーくん」を営む三線奏者の石垣島みーくん(50)。ライブでは親しみのある曲を三線で弾き語り、その合間に故郷・石垣島の暮らしや風景について言葉を挟む。「石垣島には高校までしか学校がないから、みんな島を出ていく。だから島の景色をしっかり焼き付けて出ていく――」そんな話を交えながら、観客を楽しませるアーティストだ。
石垣島みーくん自身も39歳の時、妻と4人の子どもを石垣島に残して堺へやって来た。堺で暮らして11年。来てわずか1週間で財布などが入ったカバンをなくす失敗もあったが、現在は自身の店を経営しながら、三線教室や全国各地でのライブ活動を続けている。三線との出会いや堺へ来た経緯、離れて暮らす家族への思い、今後の目標について話を聞いた。
※「石垣島みーくん」は敬称が重複するため、「さん」を付けずに表記しています。
東京で思い出した父の三線
――三線を始めたきっかけと、仕事にするまでの経緯を教えてください。
三線を始めたのは23〜24歳ごろです。当時は東京でサラリーマンをしていたんですが、街で沖縄料理店から流れてくる三線の音色を聴いて、石垣島の自宅で父が毎晩、泡盛を飲みながら三線を弾いて歌っていたことを思い出したんです。懐かしくなって、自分でも弾き始めました。
最初は独学でしたが、30歳で石垣島に戻ってから頭打ちを感じて、男女2人の先生に習い直しました。
34〜35歳ごろからは全国各地でライブ活動を始めました。35歳くらいの時は、昼間は介護職、夜は石垣島の三線ライブ居酒屋「うさぎや 石垣本店」で観光客の前で演奏していました。
そのうち、ライブ活動の収入が介護職の収入を上回るようになったんです。二足のわらじを履くより、どちらか一つに絞った方が自分のためにも、両方の勤務先のためにもいいと思い、三線の仕事に専念することにしました。
何度も断った堺への誘い
――石垣島から堺へ来ることになった経緯と、ご家族の反応を教えてください。
11年半ほど前、石垣島でライブをしていた時のことです。演奏が終わった後、大阪から三線歌手を探しに来ていた男性に声をかけられました。初対面の方でしたが、これから堺東に店を造るので、オープン初日から基本的に専属で三線ライブをしてほしいという依頼でした。
嬉しかったですし、ワクワクしました。ただ、当時は妻と、上が11歳、下が3歳の子ども4人と石垣島で暮らしていたので、さすがに即答はできませんでした。3〜4回は断りましたが、5回も6回も声をかけていただくうちに心が動きました。「よし、やるぞ」と。
家族に相談のつもりが
妻と母にも話しました。母は「あなたが行きたいならいいんじゃない」という感じでしたが、妻には「これって相談じゃないよね? もう行くことを決めた上での話だよね?」と、怒るというより半ば呆れたような表情で言われました。
妻も子どもたちも石垣島を離れたくないと言っていました。当時は関西空港と石垣島をPeachで往復1万5000円くらいで行き来できたので、2か月に1回は帰れるだろうと考えました。
堺にいる期間は明確には決めていませんでした。店のオーナーから2〜3年先には石垣島にも支店を造る計画があると聞いていたので、3年くらいたったら、石垣島で小さくても自分の店を持つのもいいなと思っていた時期もありました。
今思えば、最初に誘われた時から嬉しさと同時にワクワクしていたので、堺へ行かないという選択肢はなかったのかもしれません。
初対面の社長の助言で独立
――堺へ来てから独立するまでの経緯と、現在の活動について教えてください。
堺東の店では、オープン初日から兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀、大阪市内や泉州など、関西各地からわざわざライブを観に来てくれました。嬉しかったですし、自信もつきました。堺でもやっていけそうだという手応えが確信に変わりました。
その店でライブを始めて間もない頃、たまたまイベント会社の社長さんが私のライブを観に来られたんです。初対面の方でしたが、「一定数のファンがいるなら、雇われのライブが終わってから、遅い時間でも小さな店でもいいから、自分の店を始めてみたら?」とアドバイスをいただきました。
その言葉をきっかけに、思い切って11日後に自分の店「島唄ライブ みーくん」を堺東の翁橋にオープンしました。
自分の店はおかげさまでオープン当初から順調に続いています。三線教室も店内で開催していて、生徒さんは現在140人。介護施設や障害者施設、学校などでの演奏も、ライブを観てくださった施設の経営者や学校の先生から依頼をいただいたことがきっかけです。
睡眠時間は4時間くらい
普段は午前10時か11時から夕方まで三線を教えて、終わったら電車などで移動して、午後7時から9時までは各地でライブをしています。全国で月22〜25本くらいのペースです。
ライブが終わると急いで堺東へ戻り、午後9時30分から翌朝5時30分まで自分の店を開けています。平均睡眠時間は4時間くらい。起きたらまた三線教室が始まる、日々そんなルーティンです。
ただ三線を弾いて歌うだけでなく、沖縄にまつわる話をしたり、お客さんや生徒さんの仕事の話を聞いたりするのも好きなんです。小さい頃から祖父母や両親、親戚のおじさん、おばさんにいろいろ質問して話を聞くのが好きでした。
今もさまざまな年代や職業の方と話のキャッチボールをしている時は、ある意味、自分らしいと感じます。
家族を養うため堺で働く
――11年間の出稼ぎ生活を続けてきた理由と、堺で得たものについて教えてください。
堺に来た当初は、雇われの三線歌手として最低でも3年は出稼ぎを頑張ろうと思っていました。でも、自分の店がおかげさまでオープン当初から順調に続き、三線教室の生徒さんも増えています。何と言っても、本業の三線ライブが毎月20数本あります。
例えば明日、石垣島へ引き揚げて全く同じことをやったとしても、堺や大阪ほどの収入は得られないと思います。今の時代、子ども4人は多いですし、その子たちを大学まで行かせようと思った時に、私が健康でさえあれば、堺を拠点に頑張ることで可能になるかな、と。
古い考えかもしれませんが、たとえ2か月に1回しか家族に会えなくても、父親として男として、めいっぱい働いて、養ってナンボと思っています。「今でも出稼ぎ状態」という言葉に特別な思いを込めているつもりはありません。ただ、もしかしたら「オレはこれだけやって来てるんだ」と皆さんに知ってほしい承認欲求や、驕り昂ぶりがあるのかもしれません。
堺での失敗と数えきれない出会い
堺に出て来て1週間後、雇われていた店のメンバーが歓迎会を開いてくれたんですが、泥酔して記憶をなくし、11万円入りの財布や携帯電話、運転免許証、寮の鍵、健康保険証など、一切合切をカバンごとなくしてしまいました(笑)。
でも今思えば、それがあったからこそ負けん気魂じゃないですけど、気合いが入りました。すぐに立ち直りましたし、そこからは手前味噌ですが順風満帆です。
39歳で堺に来て、今50歳。この11年間で毎日のように数えきれないほどの出会いがありました。何か2回目の人生みたいな感覚です。人生にタラレバはないですが、もしあの時、石垣島に留まっていたら、こんなにいろいろな意味で豊かさを享受できなかったと思います。出会った皆さんのおかげで今があります。
石垣島は生まれ育った好きな場所です。石垣島で育ったという背景があるからこそ、私の三線ライブをより多くの皆さんに聴いていただけていると思います。
堺は歴史が深く、関西のいろいろな場所へ行くにも便利で、住みやすいです。好きです、第二の故郷です。
三線の音色を世界へ
――これから挑戦してみたいことや、今後の目標を教えてください。
三線には唯一無二の音色があります。微力ながら、少しでもこの魅力的な楽器を世界中の人々に知ってもらいたいと思っています。海外で演奏した経験はまだありませんが、アメリカのニューヨークや台湾で演奏してみたいです。
今でも充分、やりたいことは出来ていますが、今からでも英語を習得して、SNSなどを駆使しながら、その場に行かずとも沖縄の唄(民謡)と三線を発信していきたいです。
石垣島みーくん プロフィール
沖縄県石垣島出身、50歳。高校卒業後、電気工事、飲食店勤務、不動産・教材販売の営業、介護福祉士などを経験。22歳ごろから約8年半、東京で会社員として働く。この間、23〜24歳ごろに三線を独学で始め、30歳で石垣島に戻ってから2人の先生に習い直した。34〜35歳ごろから全国各地でライブ活動を開始。39歳で堺へ移り、2015年11月に「島唄ライブ みーくん」を開業。同年12月から三線教室も始めた。
店舗情報
島唄ライブ みーくん
- 所在地:堺市堺区翁橋町1丁5-3 エルクエストビル6階
- 営業時間:21:30〜翌5:30
- 電話:072-229-0383
- 開業:2015年11月
- 三線教室:店内で開催
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