「友だちが宿題を忘れたら、イエスさまはどう考える?」堺の賢明小で宗教を教える大原晴貴さん

「わたしはわたしのままでいい」宗教の授業で育む心 神に導かれた人生語る

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サカイタイムズ
賢明学院小学校の校舎とグラウンド。人工芝のグラウンドにはトラックのラインやサッカーゴールが設置されている
賢明学院小学校の校舎と人工芝のグラウンド

地元では「賢明」で知られる

1960年に開校した賢明学院小学校(堺市堺区)は、カトリックの教えを基礎とする私立小学校。フランスで創設された聖母奉献修道会の教育精神を受け継ぎ、一人ひとりの人格を尊重する教育に取り組んでいる。

創立以来、神への祈りを大切にし、自分とは異なる見方を理解することや、他者への奉仕を重視する教育を受け継いできた。古川ルミ校長は、いのちの大切さや思いやり、謙虚さ、感謝する心を伝えるとともに、自ら考えて行動し、異なる意見や多様性を受け入れられる子どもの育成をめざしている。

こうした教育理念を宗教の授業で伝えているのが、勤務12年目の宗教科主任、大原晴貴さん(30代)。大原さんは、友だちが宿題を忘れた場面を題材に「イエスさまならどう考える?」と児童に問いかける。宗教の授業で伝えたいことや子どもたちとのやり取り、堺での暮らし、自身の人生観について聞いた。

賢明学院小学校の教室で、児童たちを前に話す大原晴貴さん。児童たちは席に座って話を聞いている
賢明学院小学校で児童たちに話す大原晴貴さん

――これまでの仕事と、現在の仕事や活動について教えてください。

賢明学院小学校に勤務して12年目になります。学級担任を務めたあと、宗教科主任として、幼稚園の年長から5年生までの宗教の授業と、6年生の社会科を担当しています。

本校に通う子どもたちの多くは、カトリックの家庭で育ったわけではありません。そんな子どもたちに、どうすれば「わたしはわたしのままでいい」と実感してもらえるのか。宗教の学びを子どもたちが自分のこととして受け止められるように、学年に合わせて聖書の言葉や学び方を選びながら、日々の授業づくりに取り組んでいます。

――宗教の授業では、具体的にどんなことを教えていますか。

本校の宗教の授業では、6年間を通して「私は神に愛されている」ということと、「自身の心の内を深くみつめること」を大切にしています。

たとえば、聖書の創世記には「見よ、それは極めてよかった」という言葉があります。3年生ではこの言葉から、「私は、神にとってどんな存在なんだろう」と考えます。

自分の好きなこと、苦手なこと、自分のちょっとした魅力を書き出し、共通点のある友だちを探してみると、自分とまったく同じ人は一人もいないことに気づかされます。その一人ひとりの違いこそが、いただいたお恵みなのだと学びます。

賢明学院小学校で両手を合わせ、数珠状の祈りの道具を持って祈る女子児童

学年が進むと、自分たちがいただいているお恵みとは何かを考え、さらに、与えられた時間(命)というお恵みをどのように使うのか、自身に与えられた「使命」についても考えます。そして学びの集大成として、小学校で学んだことをこれからの人生でどのように生かすのか、後輩たちに何を継承するのかを考えます。

このように、「神に愛されている私」という視点から、「自分はどう生きるのか」へと、少しずつ学びが深まっていくようにカリキュラムを組み立てています。

――子どもたちに一番伝えたいことは何ですか。

「自分が神に愛されているように、まわりの人たちもまた同じように愛されている」ということを、一番に伝えたいと思っています。

本校の宗教科では「祈りを大切にし、自分も人も大切にする」子どもを育てることをめざしています。授業で学んで、子どもたちが社会の中で、行いによってその愛を示していける人になってほしいと願っています。

――子どもたちの反応で印象に残っている場面はありますか。

4年生の授業で、「イエスさまならどうするだろう」と考える時間があります。

あるとき、「友だちが宿題を忘れたら、あなたならどう思う?」と問いかけたところ、ある子が「それは自業自得だと思う」と答えました。そこで「じゃあ、イエスさまならどう考えると思う?」と聞くと、その子は少し考えてから、「イエスさまなら、別の答えを言うかもしれない」と話してくれました。

自分とは違う立場に立って物事を見ることは、とても大切な経験です。イエスさまという視点を通して、その子の中にもう一つの見方が生まれました。宗教の授業が子どもたちの視野を広げる時間にもなっているのだと感じた瞬間でした。

賢明学院小学校のチャペル内部。色鮮やかなステンドグラスや祭壇、木製の長椅子が並ぶ
賢明学院小学校のチャペル。宗教の授業や「誕生月の祈り」などで使用される

――ほかの学校にはなく、賢明学院にあるものは何だと思いますか。

賢明学院にあるのは、およそ230年にわたって受け継がれてきた精神だと思います。本校の母体である聖母奉献修道会は、フランス革命のさなかに、マリー・リヴィエによって創立されました。社会が大きく揺れ動く時代にあって、彼女が何よりも大切にしたのは、一人ひとりの個性を尊重することでした。

現在、本校にシスターは在籍していませんが、その精神を絶やさないよう、私たち教職員も日々学びながら子どもたちと向き合っています。

姿勢・呼吸・心を整える「調身・調息・調心」は、静かに自分自身を見つめる時間です。また、月に一度、おかずを食べずに粗食をいただき、そのおかず代を献金する「つけものデー」は、自分とは違う境遇にいる誰かに思いを寄せる時間です。

以前、3年生の授業の振り返りに、「人の個性はそれぞれで、なぜだろうと思っていたけど、自分はこのままでいいんだなと思った」と書いてくれた児童がいました。一人ひとりの違いが大切にされる環境だからこそ、子どもたちは自分を認め、自分とは違う友だちを理解しようとする心を育んでいるのだと思います。

賢明学院小学校の児童が絵や文字を書いた作品を制作する様子と、絵本を見ながら学習する様子を並べた写真
賢明学院小学校の児童たちが学習に取り組む様子

――堺で暮らしてきた中で「ここで生きてきた実感がある」と感じるのは、どんなときですか。

大学時代、ゼミの教授が大仙古墳を研究されていたご縁で、何度か堺を訪れたことがありました。当時は、まさか自分がこの街で働き、暮らすことになるとは思ってもいませんでした。

今では、街を歩くと、すぐそばに古墳があります。学生時代にはわざわざ訪ねていた古墳が、いつのまにか日常の風景になっています。そう気づいた時に、ここで生きているのだなという実感がわきます。

――人生の中で「大きな転機だった」と感じている出来事は何ですか。

振り返ってみると、私にとっての大きな転機は、何か一つの出来事というよりも、自分は大きな存在に導かれて生きているのだと心から思えるようになったことです。

私は生まれてすぐにカトリックの洗礼を受け、幼いころからキリスト教が身近にある環境で育ちました。教師をめざすまでは、キリスト教について深く考えることはあまりありませんでした。

しかし、多くの方々との出会いや、就職、結婚、子どもの誕生と、人生の節目を迎えるたびに、どれも偶然の出来事ではないと感じるようになりました。身近にあったキリスト教の教えが、その積み重ねの中で、少しずつ自分自身のものになっていったように思います。

自分で選んできたつもりの道が、実は神に導かれていたのだと気づけたことが、私の人生を大きく変えたのだと思います。

――いまの生活の中で「自分らしい日常だ」と感じるのは、どんなときですか。

料理をすることが好きで、よく家族や友人にふるまいます。特に得意料理があるわけではないのですが、リクエストに応えて和食でも洋食でも何でも作ります。

思い出やその日のことを話しながら、好きなお酒を嗜んでいます。家族や友人と過ごすこの時間が、私にとっての一番幸せな日常です。

――これからの人生について、現時点で考えていることを教えてください。

賢明学院小学校のチャペルで撮影された宗教科主任の大原晴貴さん。背後にはステンドグラスと聖像が見える

これからの人生も、自分の好きなことを大切にしていきたいと思っています。そして、その好きなことで誰かを喜ばせることができたら、それ以上の喜びはありません。

たとえば料理では、自分が作ったものを「おいしい」と言ってもらえると、自分もうれしくなります。自分の好きなことをして、人に喜んでもらい、自分も満たされるような日々を、これからも一つずつ重ねていきたいと思います。

賢明学院小学校のチャペルで撮影された宗教科主任の大原晴貴さん。背後にはステンドグラスと聖像が見える

大原晴貴さん

30代。堺市堺区在住。幼少期からカトリックの家庭で育ち、大学時代にはゼミの教授の研究を通じて堺を訪れる。賢明学院小学校に勤務して12年目。学級担任を経て宗教科主任となり、現在は幼稚園年長から小学5年生までの宗教科と、小学6年生の社会科を担当している。

公式ページ:賢明学院小学校「本校について」(建学の精神・校長あいさつ・沿革)

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