ジュリーが原点 山尾企画の音楽家・アートディレクター、芳本春治さん

今週末開催 山尾企画「おいでよ!テアトル堺」10月31日・11月1日

インタビュー・特集
サカイタイムズ
ギターを手に演奏する芳本春治さんと共演者
ギターを手に演奏する芳本春治さん(左)

8歳で出会った「ジュリー」が原点

8歳の時、父と見に行った沢田研二さんのコンサートが、その後の人生を大きく変えた。音楽にのめり込み、中学生でギターを始め、高校では演劇部へ。衣装やCDジャケットを通じてデザインにも関心を広げていった。

現在は、山尾企画で音楽を中心に、広報・制作、デザイン、写真・映像など幅広く担当する音楽家・アートディレクターの芳本春治さん(30代)。10月31日と11月1日にフェニーチェ堺で上演される『おいでよ!テアトル堺』でも、劇中曲の作曲や歴史面での確認など、作品づくりを支えている。

8歳で出会った「ジュリー」から始まった表現の道、山尾匠さんとの出会い、堺で暮らしてきた記憶、これからについて聞いた。

Q1

これまでの仕事と、現在の仕事や活動内容を教えてください。

山尾企画では、広報・制作、営業をはじめ、チラシやグッズ、小道具などのデザインを含むアートディレクション、写真・映像の撮影や編集など、多岐にわたる仕事を担当しています。

その中でも、山尾企画の旗揚げ当初から一貫して担当しているのが、劇場公演での「音楽」です。劇場外での公演では、なかなか音楽を使えないのです。初期の頃は、DTMなどで制作・レコーディングした音源を流すことが多かったのですが、舞台上で生の劇伴ができる環境では、自分自身で演奏もしてきました。

劇場でギターを演奏する芳本春治さん
劇場でギターを演奏する芳本春治さん

また、もともと中学生くらいまでは美術の勉強をしていたこともあり、デザインの仕事もしています。初期の頃を除けば、山尾企画のフライヤーやグッズなどは、ほとんど手がけています。

Q2

いまの生活の中で「自分らしい日常だ」と感じる場面とは?

常に「いつか使えそうなアイデア」を考えている時です。広報や販促のこと、デザインのこと、音楽のこと。「この場所で芝居ができるんじゃないか」とか。そんなことを毎日考えながら、思いついたアイデアをストックするようにしています。

直近の公演では使えなくても、山尾企画や身近な劇団の公演、イベントなどで、いつか生かせるかもしれません。山尾君と思いついたことを共有したり、そこから話を膨らませたりしている時は、やはり面白いです。

ふわっと思いついたことや、居酒屋で思いついた企みが、大きな取り組みにつながることもよくあります。阪堺電車の走る車内そのものを舞台にした山尾企画の「はんかい電車」シリーズも、始まりは堺駅前の天ぷら屋でした(笑)。

Q3

堺で暮らしてきた中で「ここで生きてきた実感がある」と感じる場面とは?

普段、何も気にせず利用していた建物が取り壊されたり、昔行ったことのある店が閉店していたり、別の店に変わっていたり。そういう時に、堺で暮らしてきた実感が湧きます。その最たる例が、堺市民会館やジョルノですね。

小さい頃に家族でよく出かけたり、学生時代によく遊んだりした場所は堺東でした。そういう場所が取り壊されてしまうと、「昔ここでこんなことがあったな」と、忘れていた記憶が急に蘇ってきます。

久しぶりに通ってみると、生まれ育った家の周りも街並みがずいぶん変わりました。浅香山の香ヶ丘商店街にあったフライショップや、小学校のそばにあった駄菓子屋なんかも、今では跡形もなくなってしまって。「昔、友達と銭湯に行った帰りによくコロッケを買って食べたな」とか、「最後に行ったのはいつだったんだろう」とか、考えてしまいます。

ずっと暮らしていると、自分の記憶と、堺という街の記憶が強烈にリンクしてしまっていますね。

Q4

人生の中で「大きな転機だった」と感じている出来事とは?

明らかに人生が変わった出来事の一つは、1999年、8歳の時に父と富田林のすばるホールまで、沢田研二さんのコンサートを観に行ったことです。

本番中、客席でカメラのフラッシュが光って演奏が中断したんです。僕はてっきり、沢田さんがお客さんに注意するのだと思いました。ところが、沢田さんが声をかけたのは、客席での撮影を止めなかった会場スタッフでした。「何を見てるんや、あんたらプロやろ」と厳しく注意していて(笑)。子ども心に痺れました。

そこからジュリーマニアになって、四六時中、沢田さんのCDやレコードを聴き漁る小学生になりました。中でも、沢田さんのバックバンドに最も長く在籍されていたギタリストの柴山和彦さんのことは、今でも親子そろって大尊敬しています。

ちょうど中学3年生の頃、沢田さんのバックバンドがベースレスの編成になったのが衝撃的で、そこから「音楽のアレンジ」というものに興味を持つようになりました。ギターを始めたのもその頃です。

また、沢田さんが毎年、音楽劇をライフワークとして上演されていたことから演劇にも興味を持ち、高校1年生の時に演劇部に入りました。そこから30代半ばになるまで、途切れずに演劇に携わることになるとは、当時は思っていませんでしたが(笑)。

曲そのものだけではなく、「ジュリー」というブランドをつくっている人たちにも興味を持つようになりました。沢田さんの衣装デザインを長年担当されていた早川タケジさんが手がけたCDジャケットの装丁などを見て、デザインにも興味を持つようになりました。

山尾匠さんと芳本春治さん
山尾匠さん(左)と芳本春治さん

山尾匠さんとの出会い

もう一つの大きな転機は、やはり山尾君との出会いです。最初は知り合いの劇団に手伝いに行った時に、軽く話したくらいだったんです。それから1年くらい経った頃、たまたま神戸からの帰り道が一緒になって。

どこまで行っても帰り道が一緒なので、「どこへ帰るの?」と聞いたら、二人とも堺だったんです(笑)。

その帰り道で、理想の演劇像とか、演劇の中での音楽の在り方について話をしていたら、若き山尾君が「今度初めて自主公演をやるから、そこで音楽を作ってよ」と言ってくれて。そこから、もうすぐ15年です。

そうした関係は今も続いていて、「はんかい電車」のように、思いついたことが実際の企画につながることもよくあります。そういう時に、「じゃあやろう!」と言って、すぐに電話する山尾君のフットワークには頭が下がります。

Q5

これからの人生について、現時点で考えていることは?

一つは、これからも変わらずに「今日より面白いこと」を考え続けていきたいです。表現というものは、アップデートされ続けるものでないと、なかなか他人の心には響かないと思っています。

ビートルズが今聴いても新鮮なのは、どの曲に対しても、その時にできる一番斬新なことを取り入れ続けたからだと思いますし、ポール・マッカートニーも今なお新しい作品を発表し、ツアーを続けています。そのためにも、閉鎖的になりがちな「関西小劇場」という世界を、もっと外に開いていかないといけないと思っています。

改めて堺に貢献していきたい

もう一つは、堺のことです。『おいでよ!テアトル堺』の広報活動のために、この夏から堺じゅうを回っていたのですが、その中で「堺を盛り上げたい」「活気を取り戻したい」「堺の魅力を伝えたい」という思いで活動されている方々とたくさん出会いました。そういう方たちと話をする中で、改めて自分も堺に貢献していきたいと考えるようになりました。

今でも大好きな、三谷幸喜さん脚本の大河ドラマ『新選組!』の劇中で、石坂浩二さん演じる佐久間象山が、若い近藤勇たちに対して、「人は生まれてから最初の十年は、己のことだけ考えればいい。そして次の十年は、家族のことを考える。二十歳になってからの十年は生まれた国のことを考える。そして三十になったら日本のことを考え、四十になったら世界のことを考える」と話す台詞があるんです。

僕は10年くらい遅いかもしれませんが、世界のことを考える前に、もう少し堺のことを考えていたいなと思っています(笑)。

芳本春治さん

音楽家・アートディレクター。30代、堺区在住。山尾企画の旗揚げ当初から音楽を担当し、現在は広報・制作、営業、デザイン、写真・映像など幅広く携わる。山尾匠さんとは約15年にわたり活動を続けている。

2023年のメルパルクホール大阪サヨナラ公演『銀河鉄道とさいごの夜』を機に、ミュージシャンと共同で音源を制作。2026年3月の『ワールド』では、3人編成のバンドによる生演奏で劇伴を担当した。

大阪大谷大学文学部文化財学科で近世の大坂や近代大阪について学び、卒業論文を大阪歴史学会で発表。『おいでよ!テアトル堺』では、堺の歴史に関する情報提供や台本と実際の歴史との確認、出演者からの質問への対応なども担う。SNSで発信している「堺クイズ」も全問考えている。

「となりの人間国宝さん」の認定シールを手にする芳本春治さんら
「となりの人間国宝さん」の認定シールを手にする芳本春治さん(左から2人目)

関西テレビ「よ~いドン!」の「となりの人間国宝さん」にも認定された。

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